2016年1月3日日曜日

森村橋/静岡県駿東郡小山町

【きっかけは1編の地元紙記事から】
小山町
有形文化財「森村橋」
修復保全工事を検討へ 市左衛門沒後1世紀

小山町は同町小山-管沼の鮎沢川に架かる国登録有形文化財「森村橋」を
後世まで顕彰していこうと、橋の名前の由来となった6代目森村市左衛門の
没後100年にあたる平成31年に合わせ、橋の修復工事を検討している。
町では昨年9月、森村橋など町内の支化財を保全していくための文化財保護
基金条例を制定した。
(以下略)

【考えてみると明治の産業遺構】
最近何かと気になる明治産業遺構や戦争遺構。
御殿場線乗車中に車窓を眺めているとき、そう言えば気になる鉄橋があったな?
そこで、今年第一回の散歩は、これで決まり!となりました。

【富士紡績小山工場はどんな工場だったのか】
同じ北駿地区にありながら、
・一度、経営危機に陥ったんだよね?
・気が付けば豆腐工場になっていたよね?
ぐらいの知識しかありません。
もちろん、紡績工場ですから、何か糸を紡いでたんでしょう。
というところまでは、想像がつきます。
小山町の定例記者懇談会の広報や公益法人土木学会の会報を確認すると、
綿糸生産の工場であることがわかります。
B.V.D.マークは、皆さんもご存知の通りです。

【森村橋はどんな橋なのか】




小山町の定例記者懇談会の広報によれば、鋼材はドイツからの輸入鋼材。
設計は東京石川島造船所の秋元繁松さん。
明治39年、創業10周年を記念して富士紡が木造だった橋を鉄製の橋に架け替えたそうです。
そこで、ふと、東京石川島造船所と、富士紡の関係が気になりだしました。

【渋沢栄一と6代目森村市左衛門】
6代目森村市左衛門は富士紡の主要な出資者です。
文教大学の経営論集第15巻第1号は「渋沢栄一を中心とした出資者経営者の会社設立・運営
メカニズムの一考察」と題して、渋沢栄一が関与した企業の一覧が掲載されています。
一覧には、東京石川島造船所に2437株出資し、取締役会長は渋沢栄一になっています。
石狩石炭株式会社には、渋沢栄一とビジネスパートナーだった、浅野総一郎が取締役社長
に就任しており、この石狩石炭株式会社に森村市左衛門が3000株を出資しています。
ここからは想像になりますが、 森村市左衛門が浅野総一郎を介して、渋沢栄一が取締役会長
だった、東京石川島造船所に依頼されたと思うのです。

【森村市左衛門はどんな人物なのか】
ネット上では、初代は旗本屋敷などに出入りする武具商とあります。
6代目は森村組やMorimura Bros. & Companyをニューヨーク六番街に立ち上げ、輸入代理店
を経営。皆さんも一度は耳にしたであろう、ノリタケアンドカンパニーリミテッド、TOTO、三菱銀
行が吸収した森村銀行といった企業を起こした人でした。
自分の仕事に関係しそうなところは、IBM製品の輸入代理業も行っていたようで、なかなか興味
深い方であります。

【森村橋にはトロッコ軌道があった】
現在、その様子を伺える場所はありません。
橋の前は、住宅地になっており、時代の趨勢を感じます。
トロッコは駿河小山から引かれていたようですが、唯一軌道が敷設していたと感じられる場所は、
御殿場線から一般道に伸びる、細い道路だけのようです。(これも想像の世界です。)

【綿花か?と思いきやカキツバタ!】
綿糸を作っていたのですから、小山も綿花を作っていたのかな?
などと思いながら歩いていたら、白い綿のような花が!と思って近づくと、カキツバタでした。
和紙の原料ですね。


【水力組】
紡績工場を操業していくには、電力も必要ということで、水力組を設立した。
と、小山町定例記者懇談会の会報にあります。
現在の水力発電所は、鮎沢川の少し下流にあり、関連性は今のところ「?」です。
でも、自前で電力会社も作ってしまうのですから、どこかで繋がっているかもしれません。




【旧東海道線を髣髴させる駿河小山駅】
これまで、一度も下車したことはありませんでしたが、なかなか趣のある駅舎です。
ホームも田舎の駅舎にしては長く、往時を忍ばせます。







【今年は風土記風に】
見るだけ、感じるだけの散歩が基本ですが、今年は風土記風に、郷土史も織り交ぜつつ
散歩をしていく予定です。

本年もよろしくお願いします。